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母親について・・・たくあん

母親について・・・たくあん

「たくわん盗み食いしてっ、このわらし卑しねぇごだ!」
坊主頭の少年に罵声が飛んだ、少年はまだ11歳。

この話は昭和初期のまだ日本が貧しい頃の話。

少年は田舎の実家から丁稚奉公(でっちぼうこう)として仙台市内の商家にお世話になっていた。
奉公なので少年は小学校から帰宅すると、すぐ商家の仕事をしなければならなかった。

育ち盛りの少年が仕事につく前、たまたま台所にあった漬物のたくわんをふた切れ、空腹が我慢できずに食べてしまった。

それを見つけられて、家の大奥様にとがめられてしまった。

だが少年にもプライドがあった。たかが「たくわんふた切れ」で、「卑しい」とおとしめられる筋合いは無い、田舎の実家に帰ると心を決した。

しかし、当時は地下鉄もバスも無い。徒歩で帰るしかなかった。

仙台市内の商家を夜中抜け出し、てくてくと歩くこと5時間、朝方にやっとの思いで実家に到着した。

まさか玄関から「ただいま~」といって入る事も出来ないので、実家のわら小屋に少年は忍び込んだ。
そしてたまたま、母親がわら小屋にいる少年を見つけた。

母は事情を優しく聞いた。少年は口から泡を飛ばし、事情のいっさいをしゃべった。
きっとかばってくれるだろうと・・・・・。

しかし母から出た言葉は、
「キヨシさん、そんな事では仁(ひと)になれんよ。朝ごはん食べたら商家に戻りなさい。」

少年は愕然としながらも、母親の瞳が濡れているのに気付いた。

仕方なく、また徒歩で商家まで帰り、大奥様に謝罪した。
少年はそれから、いかなる時も屈することなく毅然とし、そして弱い立場の人間を許す「強く優しい男」になる事を誓った。

この少年はその後、満州開拓団に加わり、中国大陸に渡った。
そして、立場の弱い中国の人たちに優しく接した。
そのお陰もあり、第二次世界大戦の終戦は中国で迎えたが、中国の人たちに助けられ、無事に日本へ生還した。

その少年が90歳を迎える時に、私が伺ったお話です。

このお客様は、 「商い」で財を築き、たくさんの不動産も取得した。

しかし、今も思い出すのは79年前の「たくわんふた切れ」と「母の涙」 だと言う。

これは母親の苦渋の言葉が、子供を正しい道に進ませると言う話です。 (実話)

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